一年三ヶ月ぶりに

更新してみたりするわけですが。
岡村ちゃんにあけられた心の穴をPerfumeに埋めてもらってる状況です。

昨日、某クラブイベントで、岡村ファンの女の子に問われました
岡村ちゃんPerfume、応援する相手をどちらか選ばないといけなくなったらどっち?」
岡村ちゃん」即答。

まあ、応援する相手を限定しなきゃいけない理由はないので意味のない仮定ですが、でも、
もし岡村ちゃんが復活できて、ライブの日が重なったら悩むかも。

前回は岡村ちゃんの東京2日目とPerfumeがかぶりました。そのときは岡村ちゃんの横浜×2
と東京初日に参戦していたため、Perfumeのリキッドに(それほど悩まず)参加できたのですが。

ていうか、悩める状況になればいいなあ。

もしかしたら、助け舟など出さずとも

ちゃんと対応してくれるだろう、と多くの人が信頼していたのかもしれません。残念ながら、そういう人たちからの信頼よりも大切な何かがあったということなのでしょう。

切込隊長
 たぶん、町山氏指摘の通り「とにかく、唐沢はバレた時点でさっと盗用を認めて、自分の責任で回収などの後始末をすれば、これほどみっともないことにはならなかったはず」というのに加えて、同じテーマで新書で五冊六冊出す方法論でやろうとして引くに引けなくなって、掛け金が上がってしまったため勝負から降りられない唐沢俊一氏に、現状で誰一人まともな人が助け舟を出していない状況について鑑賞するべきなのかとさえ思います。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/07/post_c222.html


まっとうな「助け舟」はネット上には表れないと思います隊長殿。以下は、実名もしくは筆名の人たちによる公開されたご意見であります。

町山智浩
 唐沢俊一もどう見ても他人のサイトからコピーしたのをちょこっといじっただけなんだから、さっと謝罪すればよかったのに「参考にした」だけとか言って突っ張るからみっともない。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070611

大森望
狂乱西葛西日記■2007年06月14日 週刊新潮唐沢俊一盗作疑惑記事の謎

 ぶっちゃけ、「コピペした他人のテキストをちょこちょこいじってそのまま自分の本に使った」という話なんだから、全力で謝罪する以外の選択肢はないと思うんだけどなあ。むしろ、最初から過剰なくらい大げさに謝ってしまうと一瞬で鎮静化するのに。ただちに絶版・回収を宣言したほうが圧倒的にラクだったんじゃ……。まあ、そうもいかない事情があるんでしょうが、こういう凡ミスが生じた経緯についても、その後の対応についても謎が多いことである。
http://www.ltokyo.com/ohmori/ (←今のところ。)

竹熊健太郎
ブログ主の告発とK氏の釈明を読む限り、K氏が剽窃(ひょうせつ)・盗用した疑いは濃厚であり、この件に関して氏を擁護することはできない。(略)
この問題は版元を交渉窓口に現在も続いているが、今のところブログ主は裁判まで起こす意思はないようだ。K氏が誠意ある対応を貫くなら、早晩解決するだろうと思われる。
http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/070614/ent070614000.htm

藤岡真
(たくさんある中から、あえて2007年7月12日の短い記述を。)

唐沢俊一謝れば済む問題だと思う(私見)。さっさと謝りなさい。それ以外になにがあるというのだ。
http://www.fujiokashin.com/criticism/4.html (←今のところ。)

ここに引用した皆さんは「盗用を認めて全力で謝りなさい」という助言をされているようです。なぜ「盗用を認める」ことが重要なのかは別の人が教えてくれました。

大屋雄裕
しかし筆者氏が求めていたのは財産的被害に対する補償ではないのであって、それはこの金額の提示に対して筆者氏が慰謝料支払自体を断っていることからもわかるだろう。そこで求められているのは記述が誰のものかについて正当に表明せよという名誉の救済なのであって、そうなると面子の代金として20万はいかにも安いという話になる。
(略)カネのためではなく自らの人格の表現として作品・記述を公開する人が増えてきており、かつそこで公開された記述に対する権利侵害が問題になるようになってきている。その場合に注意しなくてはならないのはこれらの人々の著作行為がカネ目当てではないことで、むしろ適切なクレジットがなされるなら別にカネなど要らないと思っている人も多い。その場合、問題になるのはカネが適切に払われたかどうかではなく事前の本人の了解があったか否か、適切な氏名・出所表示がなされたかどうかということだろう。もちろん救済としても金銭の支払ではなく、本人の同意取得・クレジットの表示を適切にやり直すことが求められる。著作権をめぐる紛争の対象は財産権から人格権に移ってきている。このように自分の記述・名誉・人格が適切に尊重されることを重視するという立場から見た場合には、逆に筆者氏の感覚が当然なのであって幻冬舎けしからんという話にもなるだろう。だがそこで問題視される対応が従来のカネの問題の処理としてはごく普通だというのはすでに述べたところである。結局ここでは求めるもの・尊重すべき価値の違う主体同士が衝突しており、それが混乱の原因だと思うわけである。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000450.html#more

お金じゃないんだ、名誉の問題なんだよ。ということですね。印象的なのが「求めるもの・尊重すべき価値の違う主体同士が衝突」というフレーズです。おおやさんは、出版社が話をお金で済まそうとしていることについておっしゃっているのでしょうが、実はそれ以前に価値の違う主体がぶつかり合っていたのではないかと私は思います。ぶっちゃけ、名誉より別のものが大事、な人がいたのではないかと。別の人の意見をきいてみます。

大石英司
 この件に関しては、編集部との板挟みにも遭っただろうしで、唐沢氏も気の毒だなと、少し同情しています。(略)
 ただ私が表現者として辛いなと思うのは、そういう事件が起こったことを何ヶ月間もサイト上で晒せ、という部分は、一件何気ないように思えるけれど、表現するということで商売している立場では、やっぱり辛いですよ。それはもう「私は盗み癖があります」という看板を掲げてスーパーの前に立てと言われているようなものですから。
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2007/07/post_47c3.html

私はこれを「表現者としての名誉の問題で、長く晒し者になるのは辛かろう」と受け取りました(まあ、単純に「商売に差し支えるから辛い」とも読めるんですけどね)。でも。

大石英司
 唐沢さんの件で、唐沢氏側の見解がサイトにアップされたみたいですね。みたい……、というのは、実は唐沢氏のサイト自体にはアクセスしてません。この問題を扱ったいろんなブロガーが転載したものをつなぎ合わせて読んでいるだけです。なぜ直接そこに行かないかというと、あまりに痛々しいから。
 ぶっちゃけ、それはサブカルホープとしてどうなの? としか思えないテキストなのですが。もしそれが唐沢氏の本心だとしたら、起こるべくして起きた事件としか思えない。
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2007/08/post_8b33.html

いろんなひとがいろんなところで突っ込みを入れまくっているのでここでは繰り返しませんが、この「唐沢氏側の見解」はあんまりです。一見、自分の名誉を保つために盗用を否定しているように見えますが、誰も納得しない論理では名誉は守られるどころか地に落ちるだろうということに唐沢さんが気付かないとは思えないのです。つまり、名誉より大事な何かを守っているのではないかと私は考えるのです。
漫棚通信さんの名誉を回復するためには、唐沢さんは盗用を認めることによって自分の名誉の一部を捨てなければなりませんでした。しかし唐沢さんは、どうせ捨てなければならない名誉を、違う方法で捨ててしまいました。残念ながら、もう漫棚通信さんに償うことはできません。

※8月3日追記
上記は唐沢さんに対し不当な非難であったと思い直しました。
「記述が誰のものかについて正当に表明せよという名誉の救済」というおおやさんの指摘について、当初唐沢さんは

【ご報告(6/5)】
悪意または盗用という意はまったくありませんが、山川惣治『サンナイン』のストーリィ紹介に関し、当サイトの紹介を大いに参考にさせていただいたことは事実ですし、ある作品のストーリィを紹介するという性格上、参考にさせていただいたサイトとの記述の非常な類似のあることも事実です。
http://www.tobunken.com/news/index.html

として、記述は唐沢さん自身のものであり漫棚通信さんの記述は参考にしただけであると主張していました。しかし、8月1日の投稿では、

【『新・UFO入門』 交渉の経緯について(一部訂正)】
今回の原稿の当該部分の掲載については、(略)手元にコピーし、メモしておいた漫棚通信氏のサイトの文章を、(略)掲載する形になってしまったものです。
http://www.tobunken.com/news/index.html

と、明確に漫棚通信さんの記述であることを認めていらっしゃいます。その記述が改変されていること、及びその理由を説明しようとする見苦しい言い訳があるために、この一番大切なポイントが見えにくくなっていることが問題であるとは思いますが、「記述が誰のものかについて正当に表明せよという名誉の救済」については実施されているのではないでしょうか(それが「達成」されているかどうかは漫棚通信さんが判断されることだと思います)。よって私の上記主張は、「見苦しい言い訳によって捨てなくてもよい名誉を捨ててしまった唐沢さんは、漫棚通信さんに償ったはずの自らの名誉の価値を貶めてしまいました」と訂正させていただきたいと思います。
※8月3日追記ここまで


初手から助言などしない人たちもいました。きっとこの人たちが正しかったのでしょう。

渡辺電機(株)
それはさておき、「盗作」騒動に対する唐沢兄の対応はさすがに素早いものがありましたが、原典を読まずに孫引きでシッタカ書いていたという恥ずかしい事実は消しようもなく、どうすんのかなあ。まあ、どうもしないだろうな。相手が小物でよかったねという話で終わるのだろうな。この世に正義なんてありません。
http://yaplog.jp/denki/archive/523

村崎百郎
大本営発狂 電波妄想戦記 2007年8月1日15時31分)

オレとしても、ここで自ら対談を打ち切るよりも、今後も毎月、唐沢氏の味方面して対談に行って「よっ!肚をくくって極悪人ロードまっしぐらとは天晴れですな!」「裁判マダ〜?」「傍聴行くよ、傍聴。応援しねえけど(笑)」「このさい裁判前に痴漢でもやって現行犯逮捕されて、今から刑務所慣れしといた方がいいんじゃね?」などと、面と向かってネチネチとイヤミをかます方が面白いし、何より話題の事件の当事者から直接、騒動の最新情報を聞いて楽しめる役得は捨てがたい(笑)。(略)ってことで、心ある読者諸君は、今後は「社会派くんがゆく!」と書いているのを見たら、心の目で「ドロボーくんがゆく!」とルビをふって読んどくよーに(アナル)。
http://data-house.oc.to/users/100/diary/history.html

村崎さんは本当に楽しそうです。ということは本当に激怒しているということなのではないかと私は思います。


さて、もはや唐沢さんは漫棚通信さんに償うべき名誉をお持ちではありません。唐沢さんは、自らの名誉を捨てて漫棚通信さんの名誉を回復されようとしています。漫棚通信さんが早くそのことに気づかれて、唐沢さんを信頼していた過去の自分への嫌悪を脱し、「春の日差しにきらめく清流の如き爽やかな心地」にたどり着かれるとよろしいのですが。Amen.&南無大師遍照金剛

因果。

こちらから。⇒町山智浩氏と唐沢俊一氏は何がきっかけで仲が悪くなったのか考えてみたよ - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)


裏モノ日記のバックナンバーを拾ってきました。同年8月頃の町山氏の「華氏911」への傾倒、11月の落ち込みぶりと照らし合わせると、ご両人の認識のギャップにくらくらします。

 8時25分のバス。仕事場到着してすぐ、アスペクトの『華氏911』原稿。最初は徹底してトバした原稿にしたが、思い直して頭から地味めに書き直す。この映画はテンションあげて批判するべき映画じゃない。こういう映画を絶賛する人々は、テンションあげた批判が出てくればくるだけ、“自分たちは正しいから相手が頭に血を上げて怒ってるんだ”というカン違いをする。要はお祭りがしたいだけなのである。
http://www.tobunken.com/diary/diary20040818000000.html

アメリカ大統領選、ブッシュ勝利確定の報。(略)ある意味、日本にとっては(アメリカ自身にとっては、とかイラクにとっては、というのでなく)最善とも言える結果だったのじゃないか。(略)ケリーという人物は公然と日本嫌いを口にし、スーパー301条を復活させようとしている男だった。(略) ブッシュ嫌いという理由だけでこういう男に肩入れしようとしていた人間というのを私はバカとしか思えないのだが、まあ、これも人間というもののアイデンティティの 不思議さなのだろう。
http://www.tobunken.com/diary/diary20041103000000.html

これ↑と、たとえば福音派ロックとファルージャ総攻撃 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記を読み比べてみると、「住んでいるところの違い」では片付けられない断層を感じてしまったりします。


なにはともあれ、伊藤さんというひとのことを伊藤(バカ)くんと呼び続けて謝罪させられた人が、今後は唐沢(××)くんと(たぶんおおっぴらにではなく、いろんなひとの心の中で)呼ばれるようになってしまったということでしょうか。因果。
例:http://qazwsx.seesaa.net/article/44274188.html

もっともリッチな架空の人物

せっかくはてなのアカウントを取得したので、いろいろと探検してみた。

日本人が考えるリッチな架空人物を答えたください。

・一人一回のみ回答可能
・タイトルに人名と登場?シーン
・重複した場合は返信で連なってください(先に登録した人の下に)

※サンタクロースは実在するので除きます

http://q.hatena.ne.jp/1172307905

なかなか面白い。既出の回答は

などなど。予想の範囲内だがマンガばっかりである(ちとネタ元が古くないか?)。
そこで、小説の主人公で記憶をたどってみた。すぐに思いついたのが「ノーストリリア」のロデリック・フレドリック・ロナルド・アーノルド・ウィリアム・マッカーサー・マクバン百五十一世だったが… 残念、コードウェイナー・スミス氏は日本人ではなかった。
日本の作家ならラノベ方面だろう、と当たりをつけて思い当たったのが、

★八頭大【キャラクター】【エイリアン共通】
エイリアンシリーズの主人公、八頭大。トレジャーハンターの家に生まれた45代目。先祖の残した財宝は9000兆円以上、世界一の科学力を誇る宝探し一家の一人である。世界宝探しハンター協会のメンバーで会員番号はGGG(トリプルG)の666番。世界で5本の指に入るトレジャーハンターである。12歳の時に両親と死別。7歳の時にトロイの木馬の台座発見。同年、ミロのヴィーナスの左親指と右薬指を、ロマノフ王朝の王冠と一緒にシベリアから出土。10歳でバミューダ三角地帯から海賊キッドの宝の一部を発見。

http://www.wisnet.ne.jp/~shuuran/tresure/yagyo.htm

懐かしい。初出はいつだろうとぐぐって見たら1983年の5月。24年前だった。ぐぐったついでに、新刊で合本が出ていることに気がついた。


早速、今日の外出のついでに本屋に立ち寄ってみた。新書コーナーに1冊だけあったのを手に取り立ち読み。「改訂合本」とあったが、大ちゃんの愛車はフェラーリ512BBi(作中の表記はフェラリ・ベルリネッタBB512I…ベルリネッタがカブってる)のままだった。朝日ソノラマ文庫版(緑色の背表紙)が本棚にあるのは間違いないのだが、書き下ろしの短編がついていたので購入。ついでにグインサーガの新刊と田中芳樹の「天竺熱風録」も購入した。


菊地秀行栗本薫田中芳樹。20年前と変わらないラインナップだったりする。

では、経営してみよう。

純喫茶エコノはコーヒーだけで勝負するいまどき珍しい喫茶店だ。店主は毒舌で頑固者、敵も多いが熱烈なファンに支えられているぞ。この店主、これまで一人で店を切り回してきたが、ちょっとピーク時の忙しさが辛くなってきた。そこで(常連からの要望もあり)、いよいよウェイトレスを雇うことにした。

  • 家賃と光熱費:20万円/月
  • コーヒー1杯の値段:400円
  • コーヒー1杯作るのに必要な原材料費:80円
  • 1日8時間、月25日営業

食器や家具やオシボリ代(重要)やJAS○ACへの上納金(とても重要)は家賃に、角砂糖やミルクは原材料費に含まれてることにしちゃうとして、それら全てを支払って店主の手元には毎月20万が残った(もちろん、毎年3月には青色申告するのだ)。

さて店主、今は一喫茶店の店主であるがかつては経済学徒であった。「世間相場の時給なぞ支払わんぞ!」いやご立派。そして彼の希望通り、1時間に2杯を余分に売り上げるウェイトレスを時給800円で雇うことに成功したのだった。それもフルタイムで。それまでは一日に50杯売れていたコーヒーが、66杯売れるようになった。

その月末。彼の手元に残ったのは18万4千円だった。So it goes.

純喫茶エコノの経営シミュレーション

普通の経済学では、賃金は労働の限界生産性と均等化すると教えている。たとえば喫茶店のウェイトレスをあらたに雇って時給800円を払えば、1時間に400円のコーヒーが2杯以上よけいに売れるとき、店主はウェイトレスを雇うが、ウェイトレスが増えて限界生産性が低下し、1人増やしてもコーヒーが1杯しか売れなくなったら雇わない。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/cd4e52fd7cca96ac71d0841c5da0cb75

限界原理というのは、ちっともわかりづらいものではない。むしろ、わかりやすすぎることが怪しいぐらいの話だ。前の記事の説明を繰り返すと、喫茶店のウェイトレスをあらたに雇って時給800円を払えば、1時間に売り上げが800円以上増えるとき、店主はウェイトレスを雇うが、売り上げ増がそれ以下なら雇わない。それだけのことだ(もうちょっとちゃんとした解説はここ)。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/470cbdc39360f5b3c77d0372e3ddcb6e

一回だけならケアレスミスかもしれないが、「限界生産性とPPPについての超簡単な解説」と題するエントリの冒頭で「売上」と「利益」を混同しているとしか思えない(まさかね)記述を繰り返し、それよりなお恐ろしいのは、コメント欄で先生を褒め称える自称経済学徒たちの誰一人としてそれに触れようとしないこと。(数式化したときにこっそり「利益」とした人1名)

経済学者は喫茶店の経営には手を出さないほうがいいのでは。

ダメ元でコメント欄に投稿したら思いがけなく返事が来た。抱腹絶倒だ。

何いってるの (池田信夫)2007-02-21 22:48:18

山形氏の記事に何と書いてあるかなんて、どうでもいい。あなたのような信者にとっては、教祖が何といったかが大事なのかもしれないけど、普通の読者にとって問題なのは、その理論がどれぐらい説明力があるのかということです。山形氏の話も松尾氏のモデルも、「平均生産性」では国内の賃金格差を説明できないんですよ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/da4a4e6c3d49221f8b9e2887069fc623

流石にこいつに対する以下の返信は黙殺されたようだ。

>山形氏の記事に何と書いてあるかなんて、どうでもいい。

正気ですか?そこには、「その理論で何を説明しているか」が書いてあるんですよ?

>「平均生産性」では国内の賃金格差を説明できないんですよ。

山形氏の記事に「『平均生産性』で国内の賃金格差も説明できる」と書いてあるかどうかはどうでもいい、と主張しているわけですね。

まあ大体こんな感じで。
さて、当初の池田先生の主張に立ち戻って考えてみよう。

普通の経済学では、賃金は労働の限界生産性と均等化すると教えている。たとえば喫茶店のウェイトレスをあらたに雇って時給800円を払えば、1時間に400円のコーヒーが2杯以上よけいに売れるとき、店主はウェイトレスを雇うが、ウェイトレスが増えて限界生産性が低下し、1人増やしてもコーヒーが1杯しか売れなくなったら雇わない。

山形氏は、日本のウェイトレスが途上国のウェイトレスより高い賃金をもらっていることを説明しようとしているようだが、これは彼のような訳のわからない話を持ち出さなくても、上の教科書的な論理で説明できる。日本では、ウェイトレスを1人雇うことによって増える売り上げは800円だが、中国では80円しか増えないかもしれない。この場合には、時給も限界生産性に均等化されるので、80円になる。では、なぜ1杯のコーヒーが日本では400円なのに、中国では40円なのだろうか? それはサービス業では国際競争が不完全だからである(ここでは簡単のためにサービスの価格だけを考え、豆の価格は無視する)。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/cd4e52fd7cca96ac71d0841c5da0cb75

赤字の部分をみれば、最初は彼も理解していたのだということは明白だ。彼はそれを「コーヒー1杯の価格差」のせいであり、それは国際競争が不完全だからだ、と説明した。「なんだ自分だって『限界生産性』だけでは日本のウェイトレスが途上国のウェイトレスより高い賃金をもらっていることを説明できてないじゃん」なんてつっこみはしない。それ以前にたとえが気持ち悪くてしょうがないから。

売上が800円/hしか増えないのに時給800円のウェイトレスを雇う喫茶店オーナーは経営に向いていないと思う。趣味ならいいかもね。

まず、売上を増やすためにウェイトレスを雇うという発想は一般的ではない。普通は、店主が忙しさに耐えられなくなるか、あるいは客にサービスの低下を指摘されたときに、ウェイトレスの雇用を検討する。ウェイトレスを雇う動機は、サービスレベルを維持または向上させるためだ。お客の無駄な待ち時間を減らして満足度を向上させるためだ。また、店主が注文取りや配膳やレジ打ちに忙しすぎて、肝心のコーヒーの煎れ加減がぞんざいになっては困るからだ。結果的に売上は増えたかもしれないーー減らずにすんだかもしれないーー思ったよりも減らずにすんだかもしれない。
でもまあ、中には「売上を増やすためにウェイトレスを雇おう!」と思う店主がいるかもしれない。サービスレベルを上げて顧客満足度を向上させてリピーターを増やそう!と。それでも、売上を800円/h増やすために時給800円のウェイトレスを雇う喫茶店オーナーはいない。1杯400円のコーヒー、原材料費は80円くらいかな。それでも0円ではない。

簡単なシミュレーションをするつもりが力尽きた。晩安。